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切実に探しておりますので、とりいそぎ、ここに書く。
アズ・シーツーでは、現在、Webデザイナーを募集しています。
渋谷勤務(曜日相談可)、あるいはフリーランスの方も。
商業的なデザイン力のある人、
素直な人、
やる気のある人、
なりたいものがある人。
フリーランスの方の場合は、渋谷に打ち合わせに来れる人。
info[atmark]asc2.biz まで、
実績URLやアピールなど送っていただければ嬉しいです。
質問などでも。
購買意欲を刺激する行動ターゲティングLPO という記事に、ネットユーザの行動特性として以下があげられていた。
1 ネットユーザは、1回のサイト訪問では意思決定を行わない。常に、サイトへの再訪問を繰り返す過程で購入決定を行います。
2 ネットユーザが購入するまでに繰り返すサイトへの再訪問の期間は、購入対象となる商品・サービスにより、1ヶ月未満や3ヶ月など様々です。
(後略)
確かによく言われることだ。
「1回では買わない」
だからこそ、メルマガやfeedを購読してもらって再訪問を促したり、再訪問時に行動や属性からターゲティング広告を表示させたり、ショッピングカートには以前追加したものが長く保存されていたりする。
ところでわたしは、かなりなネットショッピンガー(造語)である。オンラインで何かを買ったり申し込みをすることが非常に多い。回数も種類もかなりのものだ。ただ金額だけは、たいしたものじゃないかもしれない(そこは意志ではどうしようもないからだ)。
さてそんなハードショッパー(造語)なわたしは、
「たいてい1回で買う」
あるいは、
「たいてい1回でカートには入れておき、たまったら購入する」(小さいものが何度も届くのが面倒なので)
もちろんほしいものであり、財政状況が許したときだけだが。
パソコンやら高価なものを買うときは、何回か見積もりをしてみてドキドキしていることも多いが、それは財政的なものを吟味しているからであり、通常のリアル店舗であってもそれは変わらない。
ネットだから……ということではなく、商品の値段や特性(実物を見て触ってから決めたいとか)によると思うのである。
思うに、一回では買わない理由としては、最たるものはこれだろう。
「他店を回って価格やサービスを比較するのが、リアルに比べれば楽」
検索して出てきたサイトを通常巡るだろう。
で、比較してみて気付くはずだ。
なんかどれもそう変わらない。
そして一番きちんと作られたふうな綺麗なサイトで買おう、と思う。差別化ポイントがうまく表現されてないから、見た目で信頼性を決める(そして、1回買って問題なければ、2回目からはたいていそこで買う)。
「他店を回って価格やサービスを比較するのが、リアルに比べれば楽」だとしても、比較するのはやはり重労働なのである。特に、何かひとつの比較ポイント(高くても絶対に明日送付してくれる店、とか)がある場合は比較も楽だが、たいていは総合的に比較したい。そうするととたんに面倒になる。比較事項がリアルより多いし、それぞれ記載の仕方やユーザビリティがまちまちだから。
そんなわけで、そういう経験を繰り返していくと、こうなる。
「比較するのも大変なので、労力考えると1回で買ったほうがお得じゃない?」
オンラインでものを買うのになれた人間は、ネット怖いものだという幻想を捨て(リアルと同じくらいには怖いですが)、ショッピングスキルもあがるのである。より短い時間で、手間をかけず納得できるものを手に入れる。
それから、他店と比較するときも、タブは開いたままというのが多いのでそれは1回の訪問と考えてもいいのではなかろうか。
このあたりも、スキル的な問題であり、人々がタブブラウジングに慣れてくれば解決すること。
人間は成長するのだ。
一見さんも成長しているし、リピーターも成長している。
サイト構築・改善過程で言えば、ペルソナも成長していかなきゃいけないし、いつまでも「ネットユーザは1回じゃ買わない」と言い続けることもできなくなるはず。こういうのは、標語みたいにずっと言い伝えられてしまうから気をつけようと思う。
携帯を使い慣れた人が主要顧客になった場合の行動特性はどんなだろうとかー。
結局は、そのWebを使うのは主に誰なのか、ということを考えるしかない。
わたしはひとりのペルソナのために作るサイトが好きだ。
本だってそうだ。誰のために書かれた本かがわかるほうが読みやすい。たとえターゲットに自分が含まれていなくても。
「全能感の幻想」とは、今読んでいる本に出てきた言葉である。
人々が成長する段階で捨てねばならない主要な状況・欲求・態度のうちのひとつだ。
捨てねばならぬし、通常はごく小さい頃の経験で、自分が全能でないことぐらいわかってしまうのだけど、それでも、ことあるごとによみがえる幻想でもあるから面白いと思う。
やってできないことはない、とか、願いは叶う、とか。
そんなわけないー、だが、そうでもある気がしませんか。
常識がすりこまれて、あまりに突飛な幻想を抱かなくなったからというのも大きいだろうけれど、願い努力すれば、叶うことのほうが圧倒的に多いのではないか。
時々全能感を抱いて「おお。わたし素晴らしい……」とか呟いていても、人生面白いのではないか。
捨てねばならぬ「全能感の幻想」があるのもわかるが、そうやって、時々、子どもに戻ってこそ、ある種の能力が発揮できるのかもと思う。
ちなみに、「全能感の幻想」というキーワードが面白かったので、そのことについて書きましたが、本の主旨はまた違ったものです。
読んでいる本はこれ、「愛と心理療法」。
恋愛ハウツー本とかではなく、精神科医が愛の在り様を問うた本。
いろんな書籍(確かリーダーシップの本とかにも)に内容が引用されていたり、誰かが勧めていたりしたので購入した。
面白いです。仕事の合間に読んでいるので、まだ1/3ぐらい。
世の中のすべては自分に関係のあることだけど、「それについては考えない」と決めないと、時間がいくらあっても足りなくなる。
–
と、ここで不意に話は変わる。
何故なら、これは本日思ったことのメモエントリーだからだ。
–
広告は作為的だから時々食傷気味になるのだなー。
誰かを「あやつりたい」という気持ちがわたしにはない。
導線という言葉より、動線という言葉が好きなのもそのせいか。
求めるものを与えるというスタンスに近いから、WebとWebサイト構築が好きなのだろうか。
デザインは、作為かそうでないか。
デザインも広告も突き詰めればアートになると思ってる(が、これはよく人から否定される。デザインはアートであってはいけないから)。
広告は作為、デザインは工夫、アートは欲望と排出。
もっといい言葉をいつか思いつくかもしれないが、今日思ったのはそんな感じだった。
作為はもっとシンプルにならないと。
人の思惑が絡み合いすぎているものには触れたくない、と思いませんか?
求めているものを、求めているときに、推測し与えてくれる広告は好きだ。
Amazonとか。
しかし求めているものでも、求めてないときに与えられたら、押し付けがましく感じそうだ。似て非なる広告手法。その辺りのさじ加減が難しい。
広告も元をただせば、企業の「人を助けたい、世の中をよくしたい」につながるはずなのだけど、表面上、どろどろして見えるのはなぜだ。人が集団になると、忘れ去られる思想があるからか。あと、善意の上で、間違った推測をして人が動くからか。多いほどそうなりやすい。伝言ゲームは難しいのだ。